出たばかりの群像では、ひろゆき氏の辺野古での発言を出発点に、私自身が「トランスジェンダーの定義」やら「女性の定義」やらをやたらと訊かれた経験を重ね合わせて、一見無害な「定義を問う」がときに暴力的になるように思えるということをウィトゲンシュタインの言語ゲームの話をもとにあれこれ考えてみています。
きのう書いた原稿は次回の分で、まだ編集さんのチェックは済んでいないのですが、自分自身が家族に「これから移行します」のカミングアウトをしたときの話をもとに、なんで(特に最初の)カミングアウトってこんなに切り出しにくいのだろうというのを、カミングアウトを言語行為として分析する研究などを参照しつつ、あれこれ語っています。
ゆるくない話が続いているから、この次はゆるめの話を書きたいですね。ネタが思いつきませんが。