子どもの遊んでいる声が私は好きなんだ。うるさいとは思わない。歓声を聞くたびに、思う存分楽しんでくれと思っている。
わが家のとなりは幼稚園だ。物心ついたときから子どもたちのさんざめきを聞いて育った。だから抵抗ないのかもしれない。
子どもの声を騒音に感じる人が世間には一定数いる。とくにお年寄りに多い。煩わしく感じる気持ち、わからなくもないが。
生命力のほとばしりはまぶしい。トゥマッチに思うこともしばしばある。私だって日々衰えを感じる還暦すぎの老人だから。
私は園庭の隅っこで、仲間の輪に加われず、わんぱく坊主たちが走り回るさまをおとなしく眺めているような子どもだった。
だからこそ思う、大勢のなかの一員になることも子どもにはかけがえのない経験なんだと。大人はそれを妨げてはならない。
喧騒も静寂も軋轢も寂寥も充足も、子どもにはさまざまなシチュエーションで、「感じる」を掴みとる機会を与えてほしい。
そこは塞がずに開こう。保育士任せではなく社会全体で子どもを育てていこう。かつて私たちも通過してきた道なのだから。
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岩下 啓亮 (iwashi_dokuhaku@mstdn.jp)'s status on Thursday, 08-Dec-2022 06:29:14 JST 岩下 啓亮