千鳥屋(ちどりや)は、福岡県飯塚市を拠点に展開していた和菓子店、および和菓子店から発展した製菓業者グループが用いる和菓子店の屋号。
歴史
九州北部を支配していた龍造寺氏の家臣であった原田家は、最後の龍造寺氏当主となった龍造寺政家の隠居に付き従って1590年(天正18年)に太俣郷(現在の佐賀県佐賀郡久保田町)に移住し、生計を立てるための内職として酒饅頭などを作るようになる。1630年(寛永7年)に「松月堂」の屋号で和菓子店を創業し、丸ボーロ・カステラなどの菓子作りを本格的に始める。
1927年(昭和2年)に原田政雄が、福岡県嘉穂郡飯塚町(現在の飯塚市)の中央市場(現在の永楽通商店街)に松月堂の支店として「千鳥屋」を開き、飯塚進出にあわせて考案された「千鳥饅頭」は筑豊炭田の労働者らの土産物などとして受け入れられた。1939年(昭和14年)には松月堂を閉じ、千鳥屋を「千鳥屋飯塚本店」とした。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に強制疎開で飯塚本店が壊されたため、飯塚川の対岸へと移転。戦後の1949年(昭和24年)には福岡市の新天町商店街に「福岡支店」を出店した。
1954年(昭和29年)に原田政雄が死去すると、経営は妻の原田ツユへと継承される。ツユは息子たちを経営に抜擢し、次男・原田光博が1962年(昭和37年)に後に代表銘菓となる「チロリアン」を考案し、1964年(昭和39年)に開店した東京千鳥屋を長男・原田良康に、1973年(昭和48年)に開店した大阪千鳥屋を三男・原田太七郎に担当させた。なお、光博は1963年(昭和38年)から菓子作り修行のためにドイツを訪れたのちに別会社を企業しており、千鳥屋飯塚本店の経営はツユの五男・原田利一郎へと引き継がれた。実力のある4人の息子たちに支えられて千鳥屋は全盛期を迎えるが、1995年(平成7年)にツユが死去すると兄弟間の対立が発生する。生前からツユは組織再編を進めていたが資産は持分所有という形がとられており、ツユが死去すると不動産資産をめぐる兄弟間の争いが勃発し裁判にまで発展した。また、後年には互いの事業エリアをめぐった訴訟も起きている。
2018年(平成30年)時点で「千鳥屋」の屋号で店舗を運営する企業として、法人設立順に以下の4社が存在していたが、同族企業ではあるが別法人としてそれぞれ独立している。なお、「千鳥屋」の表示などは4社の共通商標としている。
千鳥屋本家
千鳥屋の本店を継承したツユの五男・利一郎が、1986年(昭和61年)に設立した企業。福岡県飯塚市に本社…