ツイッターからの続き。
あるトランスアライの方から、身体違和によってアイデンティティの変更が可能なことと同じくして、民族/人種を変えることが出来るとの意見をもらった。
発端はある方の「民族をトランスした人が実在するなら、それは最も弱い立場だろう」というツイートに遡る。
沖縄では琉球時代から「なりすまし」問題が後を絶たない。マジョリティが恩恵だけを受ける為に用いられた現代版同化政策だ。ヘイターはそれをトランスジェンダー問題に利用する。
民族の視点からトランスはできないと言えば逆手に取られ、トランスジェンダー視点で語れば違和のみで民族を変更できるとなる。
二つを同列に語ることはできるのか。答えはNO。
何世代にも渡り脈々と受け継がれ、土地や文化歴史を切り離せない人々の歴史と、トランスジェンダーが持つ差別の歴史は似て非なるもの。
加害の責任を負いたくない日本人による「なりすまし」は、差別してきた過去を封印する意味をもつ。その点トランスジェンダーの人々は、本来の自分であるために、より弾圧される側へ移動することとなり、真逆の意味となる。
トランスアライやカウンターの方々が、民族を利用するヘイターに煽られ、軽率に民族を引用してしまうことで、マイノリティの分断が進んでしまうことを危惧している。