「表現物が引き起こす悪影響の立証が必要」というのは一見正論なのだが、一部の性表現は既に規制されている一方、差別表現の規制はゆるいままなのである。
つまり「悪影響」とは何か、という価値判断が既に介在していることを意味している。
「性的消費をやめてほしい」理由はそもそも「女性差別、女性蔑視をやめてほしい」からであって、そこをすっ飛ばして「明確な規制基準」を要求しても時間の無駄なのである。
まず日本の性差別的な現状を共有し、是正を目指す旨を確認するところから話を始めるしかないのである。
「表現物が引き起こす悪影響の立証が必要」というのは一見正論なのだが、一部の性表現は既に規制されている一方、差別表現の規制はゆるいままなのである。
つまり「悪影響」とは何か、という価値判断が既に介在していることを意味している。
「性的消費をやめてほしい」理由はそもそも「女性差別、女性蔑視をやめてほしい」からであって、そこをすっ飛ばして「明確な規制基準」を要求しても時間の無駄なのである。
まず日本の性差別的な現状を共有し、是正を目指す旨を確認するところから話を始めるしかないのである。
「(性)差別に反対するか否か」のような前提を置かずに単に「表現の法規制に賛成か反対か」という問いを立てるのは有害だと思います。
差別表現を規制されたくないから表現規制に反対する、というようなファシスト、レイシスト、セクシストが結構な数存在するからです。
そういった連中は女性蔑視に親和的な風土に支えられて存在しています。そういった風土があるかどうかの確認は、例えば連合のタブを数分眺めるだけで事足りると思います。
「ジェンダーギャップ指数」で検索をかけてもいい。
「表現規制反対派」の方々にはもれなく聞かなくてはならないのです。
「女性差別に反対ですか?」と。
そして備えなければならない。
女性蔑視を内面化していながら「女性差別に反対です」と答えるような人々に。
あえて嘘をついてまで議論に持ち込もうとしてくるような連中には特に。
「(性)差別を是正するうえで表現の法規制は必要か」という議論はその上でしか成立しないのですから。
GNU social JP is a social network, courtesy of GNU social JP管理人. It runs on GNU social, version 2.0.2-dev, available under the GNU Affero General Public License.
All GNU social JP content and data are available under the Creative Commons Attribution 3.0 license.