このあたりはまだかろうじて木造の古い住宅が残り、路地も入り組んでいて火事になったら大変なことになりそうだが、そこに無花果の家はある。夏の終わり頃になると、誰も収穫しない無花果がアスファルトの上に落ちて、無残というよりもひどく禍々しく弾ける。鴉が時折、それをついばんでいく。おそらくは七十歳を超えたくらいのおじいさんがひとりで暮らしているから、なかなか手入れも出来ないのだろう。おじいさんは、曲がった腰のせいでつんつるてんになったジャケットを羽織り、ブリーフケースを手に毎朝どこかへ出かけていく。辞書か辞典の編纂をしているのだ。編纂室には今年、大学を卒業したばかりの女性が配属され、彼は久方ぶりに無花果の存在に気づかされた。その女性が、無花果が好物だとなにかの折に話していたからだ。今度持ってきてあげるよ、とおじいさんは彼女に話したが、例年よりも少しだけ早く実った果実が収穫されることはなかった。いつものようにそれはただ、落下して道を汚しただけだ。そうして立冬も過ぎ、しばらく経ったある日、無花果の枝は業者によってすっきりと伐採されてしまった。ひどく古びた木造の家屋が、恥じらうように露わになった。