打越橋は実は古の心霊スポットですね。
打越橋から横浜駅根岸道路を横浜駅方面(坂の下のほう)に見下ろすと、左手に教会があると思います。
在日大韓基督教会横浜教会です。
あの場所が今の教会になる前は伝道所でした。
関東大震災時朝鮮人虐殺が発生したあと、その追悼会の開催に奔走した李誠七は、もともとはあそこを活動の拠点としていた方らしいです。
李誠七は、虐殺の際には”百姓の家に助けをもとめ、押し入れに一週間隠れていた。食事などはその百姓家に世話になった。一週間後、憲兵などが出て事案が落ち着き始めてから外へ出た。そして、惨殺された朝鮮人を着ているもので判断し、その遺体を農家から荷車を借り拾い集めた。死んだ人を共同で焼く所で一緒に焼いてもらい、骨は拾えないので位牌を作って持ち歩いていた”というような事を語っていたとされています。