どこの世界にもどんな集団にも一定数のバカとかクズとかがいるのは当然なので、例えば米屋にそれを公言する差別クズがいたり、あるはイタリア料理にあったり、あるいはバルにあったり、もちろ中華料理もあったりするだろう事は「まあ、しゃーない」という部分は否定できない。クズは必ずいるのだから。
我慢ならないのはそいつらが普通に商売を続けられるし、なんなら繁盛もしているという事。
”ああいう事言ってたらやってたらお客さんから敬遠される””やっていけなくなる”みたいなものが弱い。かなり弱い。
多くは”そうは言っても商売人”なのでこりゃ不味いかなというブレーキは皆実装している。そのはずなのだけど、ブレーキを踏むという事は差別・憎悪煽動という点に関しては踏む事はない。これ踏む必要が無いと判断しているからだろう。商売に悪い影響はないと。踏んでいるだろう。それを許しているのは、周囲では?という思いはある。
ここが無性に腹が立つ。
あんなクズどもが続けられてなぜ食のバリアフリーを目指していたオレが休業せざるを得なかったのか。
というとこも非常に腹が立つ。
というのはある。