姪を抱くのにものすごい勇気が必要だったことを思い出す。それまで赤子を抱いた経験はなく、抱く?と訊かれても頑なに断っていた。
十代で妊娠出産は難しいと診断された三十数年前、子供が産めない女性はどう生きていけば想像もつかなかった(良妻賢母を至上とするカトリック教育的呪縛もある)。
大人になり、とうとう完全に生殖能力を失ったとき、自分の中には「子を持つ女性への僻み」「赤子への嫌悪感」―――しかも無自覚なものが―――があるのではという恐怖が生まれ、頭から離れななくなった。いま思うと、おそらく外部からの刷り込みなんでしょうけれど(「不妊の女が僻んで云々」的な言説ね)。
身体の奥から突然怒りが湧いて赤子を落とすのではないか、傷つけるのではないかという恐れは消えないまま、断ることもできずに姪を抱き、その軽さと小ささに驚いた。とはいえ、怖いから抱いたのはほんの数回だけ。自身への恐怖は消えたけど、うっかり何かしでかすのではないかという心配は消えなかった。
そんな姪ももう小学生。うちの犬を良く可愛がってくれた。わたしは彼女をたまに甘やかすおばさんでいたい。