【僕が「反原発」になった理由】
3.11後の僕は「消極的な脱原発派」だった。原発は無くした方が良い。さはかし、いきなりゼロは「現実的ではない」と思ったからだ。
当時の僕は、正直「反原発派」を「正義の暴走」だと思っていた。「コンセンサス」などという言葉に酔い痴れる「中立ぶりっこ」だった。
【僕が「反原発」になった理由】
3.11後の僕は「消極的な脱原発派」だった。原発は無くした方が良い。さはかし、いきなりゼロは「現実的ではない」と思ったからだ。
当時の僕は、正直「反原発派」を「正義の暴走」だと思っていた。「コンセンサス」などという言葉に酔い痴れる「中立ぶりっこ」だった。
震災後『報道ステーション』が日毎原発推進派と反対派を呼んでは「中立ぶりっこインタビュー」をしていた(どっかから「偏向報道やめろ!」とでも言われたのだろか?)。そして、推進派の中に石破茂も居た。石破の「原発は必要」という理由が「いつでも核兵器を作る事ができるというメッセージになる」というものだった。護憲派の僕は当然腹が立った。『wedge』をはじめとするクソ右翼雑誌が「原発推進」を叫んでいるのも気分が悪かった。それでも、クソ右翼と市民は「違う」と考えていた。
その考えが甘かった。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが日本人なのだ。「快適」という言葉をチラつかせるだけで簡単になびくのだ。誰かがどれだけ傷つこうが「自分に関係無い」事には目を向けない。むしろ背けて知らんぷりするのが日本人なのだ(※その中に僕が入っていないとは思っていない)。
原発推進派は「脱炭素社会の実現に原発は必要」という詭弁を弄し、どんどん増長していき、快楽を貪ることしか頭にない(僕も含めた)日本人は「現実的」という言葉に騙される。結果、今では「原発増設」の話にまで進んでしまっている。
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