自民党公認を得た杉田水脈が「リベラルに振れ切っている今の日本を、なんとか元の日本に戻す」と言っているそうな。
「行き過ぎたリベラル」を嫌悪し、「保守の気持ちがわかる」大学教授の「俺」が求められている、と主張している人は、「我が意を得たり」という所ではないか?
しかし、右派が強くなると必ず「マジョリティの気持ち」に寄り添い、左派言説の「揚げ足をとる」知識人が出てくる。
現在京大教授を務めている「社会学者」が、維新全盛の頃、「あいつらはいい奴。彼らの気持ちはわかる。ただ批判している左派知識人はダメ」という類のことを撒き散らしていた。これを真に受ける「亜インテリ」が多いのも困ったものではある。
ただし、「ヒト」は得てして「負けそうな側」にはつきたくないから、こういう人間は必ず一定数湧いて出るので、ま、それはしょうがない。
ところで、この社会学者や杉田水脈の言う「行き過ぎたリベラル」とは具体的には「人権」尊重くらいの意味であろう。その意味では今の日本程「人権が尊重されていない」国も少ない。もっと「行き過ぎる」方がいい。
ただし、「ネオリベラル」=資本主義は、確かに「行き過ぎて」社会は崩壊寸前である。
資本主義批判をしないで「人権」批判をする「インテリ」が多いのが日本の特徴である。 [参照]