社会保障ってのは日本も批准している社会権規約で『「国民的若しくは社会的出身」によるいかなる差別もなしに行使されることを保障する』旨の規定があるんだよね。
そして、1979年当時の国会においても、『社会保障について外国人を差別してはならないという趣旨の回答』をしているんだよね。
社会保障ってなにかと言ったら、社会保険、社会福祉、公的扶助、保健医療・公衆衛生みたいなもんでしょ。
社会保障に関しては、外国籍者・日本国籍者を等しく扱わなきゃいかんのだよね。
等しく扱うのだから当然に加入する必要がある。
国会議員やネトウヨが言う「加入出来る」「加入出来ちゃう」ものではなく市区町村が言う「加入する必要がある」「加入しなければならない」もの。
これは日本国籍者だって同じ。
一般的には「国民年金に加入出来る」「国民健康保険に加入出来る」とは言わないだろう。「加入する必要がある」だろう。
ただ、外国籍者の場合は、現実には日本国籍者のものとは違う基準を作って適用している。
それが住民登録でしょ。
90日以上の滞在の場合は住民登録が必要であり、住民登録すれば年金・保険・住民税等の対象になる。
加入している以上、等しく扱う必要がある。
これは善意や良心などといったものではなく、まあそういった善意や良心は必要なものなのだが、社会保障に関してはその必要があってやっているという事。
また、90日以上の滞在であっても、非常に外国人嫌悪の悪臭が漂う理由付けで「悪用阻止」のためにその対象から外している存在もある。それが「観光目的」「医療目的」「定住しない家族」とかでしょ。
現実には働いているという実態があるとはいえ、ここには留学生だって労働者だって含まれていて、「働く」という事が必須条件ではない。
そもそもわたしは、人は行きたいとこに行きゃあ良いし居たけりゃそこの居ればよい。国境を越えても越えなくても同じこと。社会はそれに合わせて居やすいように行きやすいように社会を整備するべき。ただ、現実的にはそこに行って生活するには金を稼ぐ必要がある。だってお金が必要な世の中だから。必然である。なので常識としてはそこに行って働く事になるが、働く必要がなければそれはそれで全然オッケー。むしろ羨ましい。そう思っている。
なので、「彼らも働いている」「彼らの労働力無くしては成り立たない」「働いているのであれば当然に等しく享受すべき」「彼らの納付によって制度が下支えされている」みたいな言い方は、現実にはそういう側面はあるが、個人的には、わたしのとは違うという感覚が強い。
働いていようがいまいが、社会に貢献していようがいまいが、等しく扱う必要があるという事。等しく扱うのであるから現に等しく加入しているという事を、加入しているのだから等しく扱う必要があるという事を、加入出来ていない者に関しては加入させるべきという事を、それぞれ言って行きたいとは思っている。