実際にどうなってるのか、というのを知れないと何も分からんよな
https://digital.asahi.com/articles/AST1X0TYNT1XUPQJ004M.html?iref=pc_opinion_top__n
――野口さんは執行にどう関与したのですか。
「収容棟のうちの一つを管理する係長だった1971年末、上司から『あす執行があるから、君が死刑囚の身柄を預かってくれ』と言われました。命令されたらイヤとは言えません」
「私の棟に死刑囚の男を移し、24時間の厳重な監視態勢をとりました。執行は翌日です。刑場まで確実に男を連行していくことが私の任務でした」
――当時の東京拘置所では、当日ではなく前日に本人に執行を告知していたのですね。
「そうです。告知した日の午後、電報を受けて男の奥さんと親戚が飛んで来ました。男を面会室に連れて行くと、奥さんは男の手を握って泣くばかりで何も話せません。男は『人間は誰でも死ぬし、どっちが先かだけの話だから、どうか悲しまないで』と言い、奥さんは最後に一言だけ絞り出すように『息子の顔があなたに似てきた』と言いました。正直、涙が出ました」
「翌朝、男を刑場まで連れて行きました。私の任務は本来そこまでだったのですが、自分の意思で執行現場に残りました」
――なぜですか。
「『自分には命を助けることもできない』という思いが浮かんできて、『見ておくべきだ』と思ったのです。ほかの刑務官たちが男に目隠しをし、手錠を後ろ手にかけ、垂れ下がったロープの前に連れて行くのを、すぐ脇で見ていました」
「男の足元には1メートル四方くらいの踏み板があり、刑務官が男の首に縄をかけました。その瞬間、ガラス窓の向こうに待機していた3人の刑務官に向けて幹部が合図を送り、バーンと大きな音がして踏み板が開きました。男はズドンと下へ落ちていき、私は思わず、手を伸ばしてロープをつかみました」
――どうしてですか。
「男の体重の反動で、ロープがあまりに激しく揺れたからです。下を見ると、私の目のすぐ先に男の頭があり、地下に待機していた医務官が男の胸をはだけて聴診器を当てました。心臓がポコッポコッと動いているのが見えたとき、『この人、いま助けたら助かるんちゃうか』という考えが浮かびました」
「自分たちは人を殺しているのだという実感がありました。法律に従い、逆らえない職務として行われたことでしたが、何もしてやれなかったという思いと救いのなさとが残りました」
――死刑執行に立ち会ったご経験を「一種のトラウマ」だと語ったこともありますね。
「心臓がポコッポコッと動いているシーンの記憶が、いつまでたっても消えないのです」