相手が常軌を逸した嘘つきの場合、「対話の構築」はそもそも無理だと私は思う。
From: @AkioHoshi
https://fedibird.com/@AkioHoshi/113253145880094184 [参照]
相手が常軌を逸した嘘つきの場合、「対話の構築」はそもそも無理だと私は思う。
From: @AkioHoshi
https://fedibird.com/@AkioHoshi/113253145880094184 [参照]
@zpitschi たしかに、ある程度の信頼関係がなければ、対話は成立しません。
いっぽうで「ある論者が嘘つきであると指摘すること」もまた言論の一部だし、政治、あるいは司法の一部でもあるのではないでしょうか。
社会には信頼できない人間も混じっていますが、だからといってシンプルに排除することはできません(全員に人権がありますから)。この状況でどのように対話を、民主主義を成立させるのか、なんらかのやり方を考える必要があります。これは難題ですが、そこでもがき続けることが、人間らしい(人権を思い考え守ろうとする)ということなのかなと。
余談ながら、「信用できない人物(嘘つき)が混じっている集団における合意形成」を考えるシステム科学の「お題」があり、ビザンチン将軍問題という名前がついています。社会的合意について考える上でもヒントになる話かもしれません。
自分の意見として、民主主義を機能させるには、倫理学や政治哲学も、数学的なシステム科学やゲーム理論も、どちらも必要だし、おそらく心理学や、グループセラピーのような分野の知識も必要な局面があるのではないかと思っています。
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