市営モンロー主義(しえいモンローしゅぎ)とは、一定地域の交通などの各種社会サービスについて、民間資本の参入を認めない市や国などの思想・態度の俗称。1950年代~1970年代には「市内交通市営主義」とも呼ばれた。
概要
「市営モンロー主義」は、中遠距離の交通は国鉄(当時は鉄道省、後の日本国有鉄道)が、都市近郊や近距離都市間の交通は民営鉄道が、都市内の交通は市などの公営交通がそれぞれ担当するという役割分担を徹底させたものである。
「市営モンロー主義」の代表的な例としては、戦前に大阪市がとった「市内交通を営利企業に任せず、市民の利益が最大となるよう市営にて行う」とした都市計画に関する基本方針や、東京市(1943年〈昭和18年〉に東京都となる)がとった「山手線内の交通整備は国(帝都高速度交通営団・日本国有鉄道等)と市で行うため、民間は介入すべきでない」という意向がある。
語源は、アメリカ合衆国がかつて採っていた「アメリカは他国には介入せず、また、他国のアメリカへの介入は許さない」というモンロー主義であり、自らの支配地域について市場の独占を図る姿勢をなぞらえたものである。
語句としての初出については定かではないが、1956年2月に発行された『日本経済新報』では「市内交通市営主義」と表現された。また、大阪市域への民営バス乗り入れが協議されていていた1947年に発表された伊勢田豊の『郊外バス大阪市内乗入問題私見』には「市内交通は大阪市で行ふと云う伝来の主義」と表現されたほか、1979年に発行された阪急バス社史『阪急バス50年史』では「大阪市は、かねてより大阪市域内の交通はすべて市営において経営する事を基本原則とする市営主義」と表現されていた。このように議論が行われた盛んにおこなわれた1950年代当時には「市営モンロー主義」という表現は見られなかったが、1971年に発行された『鉄道ピクトリアル(12月号)』に掲載された中川浩一の『大都市圏における通勤路線の特性』という記事で「市営モンロー主義」という表現がみられるようになった。さらに、1977年(昭和52年)刊行の種村直樹の著書『地下鉄物語』(日本交通公社)には「大阪市内交通市有市営のモンロー主義」(P.226) という表現がみられ、1980年(昭和55年)刊行の京阪電気鉄道社史『京阪七十年のあゆみ』や「鉄道ジャーナル」の連載記事、1985年(昭和60年)に『阪神電気鉄道八十年史』に登場している…