日々街角に立っている人たちに深い敬意と連帯の思いを表明しつつ、空論屋は空論屋として精一杯頑張ろうと思う。
昨日、「ノンポリを見下しちゃいけない。彼らに対しては、忍耐力を持って、丁寧に我々の主張を説明しなければならない」との投稿が流れてきた。現実的には全く同意なのだが、自分の中に流れるヒネクレ者の血が「それは違う!」と叫んでいるのでここでこっそり吐き出しておく。
まずノンポリは、我々「うるさい人々」の「未熟な段階」でもないし「劣った段階」でもない。ノンポリに知識を与え続けると、漸進的にうるさい人々に「進化」するだろうというのは俗流ダーウィニズムであり、有り体に言って植民地主義的発想だ。見下すことと啓蒙することは、結局表裏一体の態度である。
ノンポリと我々を隔てる壁は知識や良心の相対的な多寡ではない。それは、どっちを選ぶかという自由意思と決断の問題だ。それは卓球を選ぶかロッククライミングを選ぶかという傍から意見するのが難しい決断により近い。
ノンポリは、徐々にではなく、ある日突然にうるさい人々の一員になる。または気がついたらいつの間にかそうなっているのだ。自分がそうだ。
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Satoru Hasegawa (tsbasatoru@toot.blue)'s status on Sunday, 30-Jun-2024 09:23:36 JST Satoru Hasegawa - るまたん repeated this.
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Satoru Hasegawa (tsbasatoru@toot.blue)'s status on Sunday, 30-Jun-2024 09:59:01 JST Satoru Hasegawa だとすると、我々がノンポリに対して取るべき態度は、見下しでもなく、懇切丁寧な説得でもなく、目を吊り上げて危機を叫ぶというものでもないだろう。これらの姿勢は全て、我々とノンポリとの間に何らかの共通の地平があることを前提としている。違うのだ。ノンポリは真っ暗闇の中、前触れもなく跳躍をすることによってのみ、我々の一員となるのだ。
だとすると、我々のノリとしては、軽蔑の顔をするのでも優しい顔をするのでも必死な顔をするのでもなく、黒マントをはためかせつつワハハと哄笑する感じが望ましい。背後から突然噛みついてくるゾンビの感じでもいい。
ノンポリたちに「ああ、いつものうるさい人たちね」とは言わせず、不意打ちによって「何こいつら」とびっくりさせること。物事はそっからしか始まらないだろう。男気柑橘系☆わきまえないナニカのマザファッカ repeated this. -
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Satoru Hasegawa (tsbasatoru@toot.blue)'s status on Sunday, 30-Jun-2024 10:18:53 JST Satoru Hasegawa と、ここで自分が言ってることに幾つかの疑念がわいてきた。
「じゃあ口下手な俺はどうするんだよ!」という天の声がどこからともなく聞こえてきたのがひとつ。
もう一つはノンポリから陰謀論への流れをどう考えるかだ。ネットの煽動者たちは、自らの胡散臭さとサブカル臭を隠そうともせず、むしろそのことによって神話的な力を得ている。だとすると、自分がさっき述べたことはその後追いに過ぎないのではないか、と。
自分の主張に少々の修正を加えるとするならば、「異物として振舞う」ことと、サブカル的に派手に振舞うことは違うだろうということだ。この社会に流通する言語ではなく、別の何かをしゃべること。つまり、声高にかっこよくしゃべるのではなく、むしろ流通しているしゃべりをつっかえさせ、沈黙させること。
いやますますハードル高いな。。。自分で何言ってるかわからなくなってきたし。
一旦保留。