以前にホーチミン市師範大学の日本人教師が学生に出していた課題に「日本人を誰か見つけ、テーマを決めて30分位の日本語での会談をお願いし、評価してもらい、謝礼に10万ドン(当時のレートで500円)払う」というのがあって、私だけでなく他の在住日本人も「クッソ気まずい30分を過ごすハメになった」と言っていた
1.他人に訓練してもらってこい」と言うのは教育の放棄ではないのか。教育者として恥ずかしくないのか。
2.学生に対話を経験させたいなら、自分で何役でも演じてみせるのが語学教師だろう。
3.最低限、宿題を行う学生が、初対面の人にインタビューできる会話スキルがあるのか、適切なテーマ(発展性のある話題か、普遍性のある話題か)を選んでいるのか、インタビューの準備は万端か(日本語がまだ未熟なら特に重要)、そのくらいは、宿題を出す教師が確認する義務があるはずだ。
日本で行われている、「新入社員の度胸試しに名刺100枚交換してこい」と同じ発想によるものと感じた。ほんっとクソだと思った。