勉強をする、というのは、たとえるなら釘を打つようなものだ。「こういう家を建てたい」という願望があり、その願望を実現するために釘を打つ。具体的に建てたい家のイメージがある人は、釘を打つのが楽しいに違いない。建てたい家が少しずつ出来ていくのだから。
また、家を建てるために釘を打ち続けていると、自然に釘の打ち方も上達してくる。それもまた喜びとなるだろう。つまり、最初に実現したい願望があり、そのための手段として勉強(釘打ち)がある。もし、「こういう家を建てたい」という願望がなければ、釘を打つことは苦痛でしかないだろう。
ただ、勉強は苦痛なものだが、将来、自分がやりたいことが見つかったとき、今やっている勉強は強力な武器となり、それがないとやりたいこともできないのだ。将来、自分がやりたいことができるために、今は苦痛な勉強でもやっておいたほうがいい、とも教えるべきだ。大人は子供に正直であるべきなのだ。