しかし、環境省の水俣病の患者会との対面で話の途中でマイクをきった一件は、戦後民主主義の成れの果てだったり、環境省の設立理念の敗北だったり、原発事故後の環境省リスコミが行き着いた先の可視化だったり、いろいろと考えさせられます。
リスクのつかない、普通のコミュニケーションでまずやってはいけないことなんですよね。
ああいうことをやると、この先、なにをどうやっても強烈な不信感が拭い去られることはないと思います。
環境省が、原発事故後のリスコミを少しでもまじめにやっていたのならば、そんなこと考えるまでもなく理解できていることだと思います。
ああ、やっぱり、本当になにも学んでいなかったんだ、ということを見せつけられたと思います。
朝日のこの記事の写真、いい表情を捉えていますね。
環境大臣を含めて、環境省の人間が患者会の人たちをどんなふうに思っているのか、よくあらわれていると思います。