私は、日本国憲法の国民主権・平和主義・人権尊重という基本の柱には普遍的な意義があり、それを強化する方向の憲法改正であればむしろ賛成ですが、日本で「憲法改正」を唱える人の大部分が、この柱をへし折りたくて仕方がなさそうな状況には、強い懸念を感じています。
なぜそうなのかは、私は結論が出ていません。ただおそらく、「普遍的な意義」というやつが、嫌う人が多いのではという気はしています。万人に普遍的な権利なんか認めたくない、俺は女子供より偉いんだ、朝鮮人より高等なんだと威張りたい、そういう「秩序」こそが大事だと思っている人が多いのでは。
それは近世的身分秩序の残存といっていいのか、あるいはそれがベースにあったとしても近代にどう変質したのか、考えるべきことはたくさんあります。近世から近代への連続性であれば、やはり通俗道徳の問題は外せないかと思うので、安丸良夫をまた読み直したいと思います(その前に積読本が…)