国家を支持するとか国家を愛するとか、かなり怖い言葉なので、デモのシュプレヒコールで散見されるようになってきたことに危機感ある。
弾圧されている国や地域に連帯することや、その土地の自治権/独立/解放を支持すること、そこに暮らす人や動植物の権利を支持すること、その人々からの意見や声明を支持することと、「特定の国家そのものを支持したり愛したりすること」は、全く別の行為だと思っている。
国家とは最も支配的な権力を保持している排他的政治共同体なので、権力の塊かつ支配の象徴みたいな「国家そのもの」を支持したり愛したりしてしまうならば、そしてそれを参加者たちで共有するのであれば、その運動はナショナリズムまっしぐらなんじゃないのかと。
「We love 〇〇(任意の国名)!!」のようなシュプレヒコールは、(それが自国に向いていようと他国に向いていようと)かなり愛国運動の様相を呈しているので、「どうしてもこの運動にナショナリズムを持ち込みたい」という意図が無いのであれば行うべきじゃないし乗るべきでもないと思う。
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Ubu (ubuhanabusa@fedibird.com)'s status on Sunday, 28-Apr-2024 11:28:09 JST Ubu