陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現
https://digital.asahi.com/articles/ASS473FGPS47UTIL00FM.html
昨今の日本のネトウヨ化を考えれば、自衛隊がこの有様なのは当然ともいえますが、暴力装置が過去への反省を欠いていることは周辺諸国のみならず自国民にとっても危険なことなのです。
陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現
https://digital.asahi.com/articles/ASS473FGPS47UTIL00FM.html
昨今の日本のネトウヨ化を考えれば、自衛隊がこの有様なのは当然ともいえますが、暴力装置が過去への反省を欠いていることは周辺諸国のみならず自国民にとっても危険なことなのです。
https://twitter.com/bokukoui/status/1421802006323228679
私が「大東亜戦争」と当時日本政府が呼称した戦争の呼び名について考えていることは、3年ほど前に庄司潤一郎氏の論文を参考にしつつ述べました。現状では「大東亜戦争」呼称を使う人は、過去の日本の行為を無理に正当化する歴史修正主義の傾向がみられ、好ましくありません。
先にリンクした朝日の記事に、辻田真佐憲氏が「「大東亜戦争」と使ったから即アウトみたいな機械的な反応はそろそろやめたほうがいいのではないでしょうか」とコメントしていますが、率直に言って、中立を装って俗情に阿った愚論でしかないと私には思われます。
現在「大東亜戦争」がどのような文脈で使われているかを考えれば、それはもっぱら、過去の日本の戦争を無理やり正当化する、日本版歴史修正主義的な言説ではないでしょうか。その現在の文脈を脱色し、「イデオロギーから自由な俺」を演出する仕草はネットに溢れていますが、悪いことです。
「大東亜戦争」の呼称の問題には、「大東亜共栄圏」につながる、日本が大東亜の盟主であり他のアジア諸国はその子分たるべし(「八紘一宇」の家長が日本)という発想があります。これが、中韓を代表とするアジアを格下に差別したいネトウヨ的心情と呼応しているのです。
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