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議会におけるフィリバスターって,多数派の「多数決の名の下の暴力」に対抗するための「少数派の合法的な抵抗手段」として認められて来たもので,これは「ある種の討論においては,途中で打ちきることはできない」というルールに基づくことが多いわけですよ。
(ちなみに長時間演説以外にも牛歩戦術とかもある。)
フィクションではあるけど,有名になった例としては「スミス,都へ行く」というアメリカ映画で,上院で23時間以上の演説を行ってその間に議会外での抗議運動を巻き起こし,腐敗を正すというストーリー。
(ちなみに合衆国憲法の朗読もやっていましたな。)
でもたいていのマスコミは,少数派の合法的な抵抗手段であることを無視し,ちょうど上の映画でも描かれていたとおり,「何を無駄なことをしているんだ」という,客観的「風」な主張をすることで,多数派に与しちゃうわけですよ。
せめて読者の側では,この「一見わかりにくい偏見を取り除く」努力はしておきたいと思う次第。
……この延長線上に「政治の話として忌避してしまうことの危険」があるわけですよ。それこそフィリバスターについて無邪気に批判して結果多数派に与していることに「自覚がない」結果が生まれているわけでしょ?まずそれが一つの政治的立場であることの自覚があれば,政治的だってだけで忌避することなんかできるはずないわけなのだが……。