自分が発達障害があると、能力がムダ=カネに結びつかない、とかって個性を通貨で換算するんじゃねーよばーかばーかとか思うんだけど、
ヒトの能力を均一に抽出してカネに変換し資本家に集約する資本主義はもとより、カネはとっぱらい、労働の成果物に社会の潤滑油を求めた共産主義すら「たあいないのうりょく」が相性が悪いのはわかってる。
それってなるとやっぱり斎藤幸平の言う脱成長になるのカナ〜、なんて思ってたところにこれが届いたんで読むネ(長めの読書宣言)
自分が発達障害があると、能力がムダ=カネに結びつかない、とかって個性を通貨で換算するんじゃねーよばーかばーかとか思うんだけど、
ヒトの能力を均一に抽出してカネに変換し資本家に集約する資本主義はもとより、カネはとっぱらい、労働の成果物に社会の潤滑油を求めた共産主義すら「たあいないのうりょく」が相性が悪いのはわかってる。
それってなるとやっぱり斎藤幸平の言う脱成長になるのカナ〜、なんて思ってたところにこれが届いたんで読むネ(長めの読書宣言)
『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』
まだ読み途中だけど感想。
斎藤幸平(東大のマルクス主義研究者)がウーバーイーツやって搾取されてイラッとしたりあつ森やって資本主義の欲望に負けて島の独裁者になりそうになって反省するのすげー面白いし、「共事者」(「真の当事者」探しによる分断を防ぎ、全ての社会問題に影響を受けている者としての当事者)の概念はいいなーと思う。
軽く読めるエッセイとも言えるし、エッセイを経済学で書いているとも言える。男性メイクやエコファッションなど身近なものから外国人労働者問題、ミャンマー、アイヌなどをあくまでひとりの人間として見た後、学者としての見解を加えるスタイル。
読み物として読みやすいのでオススメです。「それがマジョリティとしての外部の目である」という批判は、傷ついた人はすると思う。わたし自身が今今の今、自身が障害者・そして障害児童を養育する保護者としての就労に苦しんでいるので、「言ったって学者先生はいいよなア」という視点があるのは否定できない。
それでも共事者の好奇心が何かを動かすことを願うし、そうでなければいけない。
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