この記事、少し気になったので指摘しておきますが、当時の子供たち本人たちが「そうしたい」というのでなければ、するべきではないと思います。
研究倫理的な問題にもなると思いますが、能登の避難をしなくてはならない子供達と、福島の避難経験をした子どもたちとでは、同じ避難であっても条件が大きく違うからです。
特に、経済的な条件が違いすぎます。原発事故の避難の子供達は、精神的には原発事故独自の難しい経験をしている一方で、経済的な面は賠償があったため、基本的に補償されていました。
一方、時間が経つほど、能登の災害被災者は、経済的な厳しさが前面に出てくることになる家庭も増えると思います。
同じ避難であったとしても、話がかみあわず、そのことによって傷つく子どもたちは双方に出てくるはずです。
まわりの人間が先導して行うべき交流であるとは思えませんし、ましてや研究者が先導して行うのは研究倫理的にもいかがなものなのか、と思います。
「福島の教訓を伝える」といえば、なにをやってもいい雰囲気が周辺にあるのではないでしょうか。
能登の中学生と語り合いの場を 福島県の教訓伝える 震災・原子力災害伝承館
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2ce5478359475fe37da410858a9909a022453c0