ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』(明石書店、2022年)の終章に、「トランス差別をする人は歴史の誤った側にいる」という物言いへの痛烈な批判がある。この物言いに従うなら、トランスジェンダーを包摂する人は「歴史の正しい側」にいて、受け入れない人は「誤った側」にいることになる。
こうした物言いはトランス差別を批判するリベラルな人びとに人気だという。しかし、フェイに言わせれば、歴史に「正しい側」も「間違った側」もなく、こういった物言いに現れているのは、自分たちは「正しい側」にいたいというリベラルの潔癖症にすぎないという。
このフェイの指摘は、個人的にかなり響いた。ツイッターみたいなところにずっといると、「正しい側」にいたいという願望がどんどん増してくる気がする。何かを主張したとして、その数年後にそれが間違っていたことが判明したときに、その昔のツイートを発掘されて「バーカバーカ」とやられてしまうのではないか、ダブルスタンダードを指摘されて、自分の判断基準の曖昧さを露呈させてしまうのではないか。