宗教のコミュニティ機能。
天理教の場合、現在、コミュニティ機能は完璧に喪われつつあると言って良い。何しろ、月に一回の祭典でも、教会設立○○周年記念祭のような特別な祭典でも、参加者は高齢者ばかりである。30年前に参加していた人たちがそのまま参加している。その人たちの子や孫はまず見ない。
「横への布教、縦への伝道」というお題目をよく聞くが、ほとんど全く出来ていない。
創価学会などでも似たようなものじゃないかと想像する。習俗化しきった仏教や神道ではなく、最近に出て来たカルトでもなくて、ある程度安定した宗教はみんなそうだと思う。
世俗道徳とは別の価値を提示できていないんだよね。彼らに出来ることと言えば、有職故実にのっとった儀式の遂行、特に○○教式葬儀だけだ。葬式仏教ならぬ葬式○○教。たまにする説教では、教育勅語にも良いところがあったと言わんばかりの勢いで。
それでは家族や世間からの避難場所とはなり得ない。