今回のKADOKAWAの件は、「原著があること(それに対する数多の批判が積み重ねられていること)」「KADOKAWAのやり方に多数の問題があること」があってそれでもこの状態で、日本語でゼロから書かれた書籍が(一見してそれとは指摘はできるがわかりづらいようなタイトルや宣伝で)静かに出されたら……ということをずっと考えている。
でも、そんなののほうが大多数であり続けてきたのだ。今まで。今回のひどさが特大だっただけで。多くのヘイト本は止めることができず流通を許してしまっている。そこで脅かされるひとがいることを許してしまっている。
じゃあ今回はなぜ、となったときに、もし複数の指摘のように景表法抵触がその理由なのだとしたら、そういう「やり方(の問題)」、法律の問題でしか中止判断をうながせないのか、自社ポリシーへの抵触はどこいった、など、むしろ落胆と不安が大きくなる。