職場や生活圏にユダヤ系もムスリムも(そしてシーク教徒もラテン系もアジア系もアフリカ系もネイティブアメリカンも他のいろんないろんないろんな人も)いて同じように地下鉄やバスに乗って仕事して食事して家に帰って....という生活をしていると、単純に「ダビデ対ゴリアス」に落とし込める構図ではないこと、を感じます。自分に出来る、最も誠実なことは、いろいろな事実認定(の試み)に耳を傾けること。「一つの」側として認識されている「立場」にも複数の事実認識、評価、意見、があることを学んでいます。FACTSとして客観的に同意し得ることには一定の事実認定が可能だけれど、TRUTH(S)として各当事者が現実に経験することには複数のナラティブが可能なのだということは、もう少し実感としてわかるのではないか、と思っています。
この感覚は、9/11直後に米国他都市に行ったときに感じました。わかりやすい構図に落とし込めば自分の気持ちも楽だけど、自分はこれについては、その経路は歩めません。