大学が「人権」って言葉を嫌って何でも「ダイバーシティ」にするって話を聞いた。
「ダイバーシティ」でも「多様性」でも根本に人権の理解がないとミスリーディングになりがちで、具体的には「多様性って言うんだからヤバい意見も認めろ、認めないなら多様性なんて嘘だ」みたいな暴論がちょいちょい出てくる。
「多様性」と言った時に当然人権思想と自由主義が前提にあるんだから、自由主義では個人の自由が人権として認められているけれど、他人の自由を奪う自由は当然認められない(またはそれは「自由」ではない)、って話で暴論は暴論として片付けられるのだけど、そもそも人権について考えるのを回避してると、それができないんだよね。
逆に人権についてちゃんと考えていれば「多様性」とか必要ないんじゃない?って話もあるんだけど、歴史的なことは知らないけれど、差別があると多数者の自由な選択が少数者の自由を少しずつ奪って結果的に少数者の自由がひどく制限されてしまうという現象があって、個々の「少しずつ奪う」の規制は難しいから「多様性」という結果にコミットしよう、って話だと思っている。