おー、これこれ。
これを読んで、(まだ咀嚼しきれてないけど、)「みんなちがって、みんないい」に対して自分がずっと抱いていた違和感の正体がクリアーになった。
誰もがみんな違う存在だ、てのは大前提なんだけども、アイデンティティってのが自分個人のものだってのは幻想なんだよな。実のところ、アイデンティティってのは他者との関係の中で形成される/させられるものでしかありえなくて、つまり、アイデンティティの中には始めからすでに政治/社会の力学が内包されてんだよな。社会的公正や差別・不平等について考えるときにはそこに敏感でないといけないのに、「みんなちがって、みんないい」ってのはそこを捨象してしまう危うさをはらんだ言葉なのだよね。
清水晶子さんの
「解像度高くアイデンティティを細かく見て、それを尊重しようよでは済まない。アイデンティティがなぜどのように政治化していくのか、距離を置いて考えていく」
にブンブン頷く。ブンブン。
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『トランスジェンダー入門』刊行記念イベントレポートvol.4~フェミニズムとアイデンティティの政治~
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/24944