先日、NYTのThe Dailyポッドキャストでパレスチナ系アメリカ人女性がガザの状況について話をしていた。彼女はずっと米国で仕事をしていて子どもたちも米国にいるが、年配の両親に会う為にガザを訪れていて、そのまま爆撃下のガザに閉じ込められたのだという。
その人の言葉が耳に残っている。
「以前の私は、ガザは仕切りのない牢獄だと言っていた。けれども今は違う。今のガザは仕切りのない墓場だ。ガザの人々は生きているだろう、と思うのか?生きてなどいない、ゾンビだ。歩いたり話をしたりしているからというだけで生きているとは言えない」「彼らは私たちをどうしたいのか?海に追い落としたいのか?それならさっさとそうしろ」
嘆かれるに値するとみなされる生、という、AIDS禍を経て対テロ戦争のなかで20年前にバトラーが考えていたことを、もう一度追いかけて考えている。
今はまだ命ある人々に囲まれた(そしてその人々を大切に思っている)今はまだ命ある人から発せられる、私たちはもはや生きていない、あなた達はすでに私たちを殺していて、それを認めようとしていないだけだ、という糾弾。