20代前半ぐらいのとき、自分的にだけど相当あれこれ充実していて、仲の良い大学時代の友達と卒業した後も遠くにバイクでツーリング旅行ったりだとか、お付き合いしてる人と数年同棲したりだとか、いろんな経験ができてた。
その後にあれこれあって一気に平穏な何もない生活が続くようになったんだけど、そんな感じになっても昔の充実した思い出があるから、平坦な毎日でもぜんぜん大丈夫だわーと思ってたんだけど、その思い出から10年20年と時が経っていくと、記憶が薄れまくって、自分が経験したこととは思えないというか、そもそもいまの自分と昔の自分がはかけ離れすぎてしまって、自分のことじゃない何か物語とか夢を見てただけだったんじゃないのかなってぐらいまで剥離されてしまっていて、その思い出から月日が経ちすぎると、思い出だけを支えにっていうのは無理だなーと、歳をとったいまはそう思ってる
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山田にーち (neachi@box.neachi.net)'s status on Wednesday, 27-Sep-2023 00:34:39 JST 山田にーち - xanac repeated this.
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山田にーち (neachi@box.neachi.net)'s status on Wednesday, 27-Sep-2023 00:34:43 JST 山田にーち ただ、発想の転換なんだけど、どれだけ充実した毎日を実際に送ってたとしても、それが限られた期間の間のことなら、長い月日が経てば忘れてしまって、それが夢物語のように感じてしまう。
それなら別に妄想で幸せなことを常日頃考えてても、あんまり幸福度みたいなものは変わんないのかもなーと、考えたりもしてる。
こういうことを言うのはあれだけど、僕は個人的にアイドルや有名人に本当に恋をしてしまう、いわゆるキャラクターへのガチ恋みたいなことは長いこと理解できなくて、実際に触れ合ったり愛し合えない相手に恋をするのはすごく寂しくならないのかなと思ったりしてしまってたんだけど、ぶっちゃけ実際の過去の恋愛とか相手との触れ合った思い出みたいなものも、月日が経てば夢物語だったのかなと思えてしまうぐらいかけ離れた出来事になってしまうので、手の届かない相手であっても、架空のキャラクターであっても、実在の相手であっても、それでそのとき自分が幸せを感じられるなら万々歳なんじゃないかと、いまではそう思ってる。
月日が経てば、結局みんな同じなんだからxanac repeated this. -
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山田にーち (neachi@box.neachi.net)'s status on Wednesday, 27-Sep-2023 00:54:23 JST 山田にーち これって端から見たらある意味悲しい寂しい考え方に見えてしまうかもしれないけど、さらに歳をとって60代70代になったときのことを考えると、いまよりもっと新たな経験とか思い出みたいなものは作りづらくなると思うんだよね。
だからそうなったときも、こういう考え方というか、捉え方ができるようになっていれば、悲観したりせずに歳をとっても割と楽に幸せを感じられる方法を見つけやすいんじゃないかなーと