カストルとポルックス(Castor and Pollux、生年不明 - 1870年12月)は、フランス・パリ市西側に位置するブローニュの森の北側にある遊園地のアクリマタシオン公園もしくはセーヌ川の畔にあるパリ植物園で飼育されていた2頭の象である。
2頭は1870年の普仏戦争によるパリ包囲の間に、動物園で飼育されていた他の沢山の生き物たちとともに殺されて、パリの市民たちの食糧にされてしまった。
経緯
カストルとポルックスの2頭は、兄弟の象と推定されている。普仏戦争が勃発する前には、2頭は背中に人々を乗せて園内を散策することで人気を博していた。しかし、プロイセン王国の軍勢がパリ市を包囲すると、早晩パリの市民たちは食糧の窮乏状態に陥ってしまい、象や他の動物たちを殺して食糧に充てることを求めるようになった。
1870年9月19日に、プロイセン王国の軍勢は、パリ市街を砲撃するよりも一刻も早い降伏を促そうとして市街の包囲を実行した。翌1871年1月5日には、市街への砲撃が始まった。パリの市民たちは1月28日に休戦協定が締結されるまでよくこの事態に耐えたが、この包囲の間、彼らは普段目を向けないような物まで食糧の対象にすることを強いられる結果となった。
野菜、バターやミルク、チーズなどの乳製品や食肉が欠乏するようになると、市民たちは最初に馬の肉を求めた。馬の肉は、この包囲が起こる4年前に貧困層の人々への食肉として供給されるようになっていたが、パリ包囲という危急の事態のもとではすぐに贅沢品と化してしまった。パリ市街には当時多くの馬が飼われていたが、馬たちの供給は限界に達した。チャンピオンになった優秀な競走馬でさえも、例外にはならなかった。
だが、その馬肉もすぐに欠乏することになった。猫、犬、そしてネズミが市民たちの次の食糧となった。猫も犬も、美味とはいえないネズミすら市街から少なくなり、1870年の年末には、食肉業者たちは動物園に飼育されている生き物たちに目を向けるようになった。
アンテロープ、ラクダ、ヤクやシマウマなどの大型動物が最初に殺された。数種類の動物は生き延びることができた。サルたちは人間に近縁過ぎるので食べることに抵抗を持つ人も少なくなかったため、ライオンやトラは危険とされたため食用になることを免れた。植物園に飼育されていたカバは、園が食肉業者たちに対して80,000フラン以上の代金を要求したため命拾いした。そして外国産の動物による料理のメニューが供給され始めた。例えば、Cuissot de Loup, Sauce…