日本の教育は戦後に「六・三・三」制の「単線的で平等な教育制度」となったが、1967年の都立高校学校群制度導入以降、都立高校の人気が低下するとともに私立の中高一貫校の人気が高まって、金のある家の子どもは塾に通って受験対策をして中学受験に勝ち抜いていくようになる。こうやって「六・三・三」制とは異なる「六・六」制ルートが形成され、教育制度の実質的な複線化=差別化が生じた。
その後、1970年代になると都市部大企業の給与水準が他の職業と比べてとても高くなり、そういった大企業に就職できる国立大学・有名私立大学に進学するために受験戦争が過熱する。中学受験もますます広がり、公教育以外の学校外教育機関に多額の費用を負担して通わせるという現象が大衆化する。
こういった「教育の私事化」の流れがあったからこそ「臨教審」が「個性重視の原則」や「選択の機会の拡大」の名のもとに「私立小・中学校の設置の促進」を強調し、それが一定以上の人々に歓迎された。
(※ここまで書いてきたことは「現代思想」4月号の大内×三宅対談に書かれているので是非読んでみて下さい)
「中高一貫の男子校出身者」はまさにこの「六・六」制の「エリートコース」に乗った人間であり、これに乗れるのは学校外教育機関に多額の費用負担ができる「勝ち組」の家に生まれた証でもある。
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