「オードリー・タン 自由への手紙」読書メモ
一枚岩の向こうで、自分を殺して、ひっそり息を潜めなくても良いのです。
「こんな感じで行こうよ」
そんな大まかな合意で進んでいけば、よりたくさんの人と共存することができるようになり、より多様性のある文化を実現することができます。
・違いがあると同時に「全員に切り離せない共通の価値観」があると認識する
・違う人、違うもの、新しい人、新しい事柄を受け入れる姿勢を持ち、あらゆる多様な立場というものを理解しようとする
強制せずに協働するやり方を。
変革を起こすためには、居場所が必要です。
自分がいる環境に守られていること。安全だと感じる場所を持つこと。これが何よりも大切なことです。
居場所さえあれば、どんな変革も、強制や排除なしに起こせるはずです。
私が目指すのは「強制から解放されたアナキズム」。
私にとっては道教もアナキズムも同じものです。
道教の柱となる考え方は「安全な場所」をつくることです。
その場所ではさまざまな異なる考え方が混然としていて、「何が正しいか」を押し付けられることがありません。強制のない世界ーーーーこれが中心となる考え方です。
同性婚の合法化は、結婚の再定義です。
左手と右手、両方を使ってみるような試みをした人はみな、インクルージョンになれる力を与えてもらえるーーーー私はそんなふうに考えています。
思い出して欲しいのは、誰もが早く学ばなければならないというわけでもないこと。
特にもう若くない世代はこれまで自分が学んできたことに最大限に寄り添えるものはなにかを見極めると良いでしょう。
アイスバケツチャレンジの言わんとするところは、問題をソーシャルな対象にしてもらう点にあります。
問題を声に出すだけではなく、広めなければ、問題解決にはつながりません。
一人一人が、人々に行動するよう呼びかける「声」になるのです。
短い時間で完結する、然るべき行いであれば、アイスバケツチャレンジと同様に高い実行再生産数を持つことになり、そこから希望と連帯の連鎖が拡散していきます。そしてこの連帯のもたらす喜びは、怒りの感情よりも速く伝播するものです。
つながりから生まれた喜びは、怒りよりも実行再生産数が高いと私は考えています。
最初の動機は怒りであってもいい。それはなかなかに使える「蛍光ペン」なのだから。
そこから、つながりと喜びを生み出せば、変化が生まれます。それが実を結べば、次の運動が起こるようになります。
格差を系統的に減らそうと思うのなら、単独で行動するのではなく、ハッシュタグという「声」を出し、広げ、巻き込んでいくことです。
無力感も格差を広げる。人々が諦めてしまう状況から抜け出すには、自分にたくさん質問する。次にすべきは「広げる行動」です。
自分がどんな人であるかを、表現することが自由です。
自分が自由を手にしたら、握りしめずに共有して、みんなを自由にする。
自由とは受け取るものではなく、惜しみなく与えるものです。
自由を共有すること。それこそ、私たちがつくる自由への道です。