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戦時中の被害については子どもの頃から色々読んだり聞いたりはしていて、自分の住んでいる(といってもだいぶん地域は違うけれども)東京の大空襲の話だの、原爆の話だの、沖縄戦だの、というのは例えば祖父母が買ってくれた子ども用の本の時代から色々と目にしてきた。
ただ、私が子どもの頃には、直接に東京大空襲のど真ん中にいた、被爆をした、沖縄戦を生き延びた、という人たちは周囲にはいなくて、だから私はそれを、時間的にも地理的にも遠くない歴史の上の決して忘れてはならない出来事、という感じで理解していた。
もちろん両方の祖父母はそれぞれに戦争でそれなりの苦労はしたしその話も聞いたけれども、それでも私の祖父母は4人とも戦争を生き延び、戦時中に空襲などで亡くなったおじやおばもいなかった。かなり幸運だったのだろうと思う。
なので「日本人としての被害」という感覚は、正直よくわからない。被害は私(たち)のものではなく、戦禍を生きた個々人のものであるように感じる。
もちろんこれは、実際に戦争ではるかに大きな被害を受けた人々の子どもや孫が「自分(たち)の被害」という感じ方をすべきではない、という話ではない。