色々なことを考えて考えてなかなか言葉にできなくて、そんな状態で何かを発する気にもなれなくて、結果的にSNSを数日絶っていた。ただ、当たり前だけどSNSを閉じてもSNSは存在しているし、それを通した向こう側にも誰かが存在しているし、そこで起こっていることが消えたりはしない。「正解」や「べき」や「敵」や「味方」などで割り切ることは私にはどうにもできない。割り切ることで絶たれるものもあるように思える。そしてある程度「絶た」なければやっていけない方たちがいるのでは、ということを考える。傷ついている人がいて、その傷つきの深さ長さを想像してみることで、「べき」や「正しさ」は簡単に変わる。私は何かを見落としていないだろうか。見落とすことで誰かを軽んじていないだろうか。それがはっきりするまで何も言わない方がいいのでは。言わなければいけないわけではないし、言うにしろそのタイミングは私のものだ。本当に? 言葉を紡ぐことで安心を提供することはできるのではないか。少なくとも、私がその人たちと『繋がっていたい』と思うのなら。ずっとうまくいえない。