差別は人を殺すんだけど、差別って人の悪意や意図とは別のところで機能していたりするから、
つまり悪意なく、むしろ善意での提起が、崖っぷちにある人の背中を強く押す一手になったりするわけです。
差別構造を批判するときに、構造を強化し得る側の言動をとった人たちの悪意の有無など意識の話渡沙汰するというの、まずその姿勢自体が、マイノリティ側にかなりの負担を強いるものであるという全体が理解されて欲しいんだよね。
それは翻せば
差別構造の強化に加担する言動とるひとについても、人格や意識を否定する必要は必ずしもなく、ただ「それ加担になっちゃうやつだよ」って言動のことのみ言えばいいって話にもなるというか。
悪辣な意図や意識の有無を問うことのほうが人格否定に繋がりやすいと、私は思うんだけどな。
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佐原(カプサイジを想え) (tiharu4happy@calckey.jp)'s status on Saturday, 03-Jun-2023 13:22:27 JST 佐原(カプサイジを想え)