たしかに立てこもり事件で4人を殺したのは事実。
だけどもしいじめが原因だとしたら、いじめという心の殺人は問題視しないのに、わかりやすく人が死ぬと取り上げるというのは、そして後者のみを死刑だと責め立てる風潮はしんどすぎる
地獄だよ。周囲から悪く思われていると感じながら生き続けている日々は。
自分から少し離れたところでぼそぼそ会話するのを見るたびに、『自分のなにかがいけなかったのかなぁ』との疑念に駆られる日々は。
その疑念を1日100回くりかえすとしたら、いじめ体験が拭えない人の場合、もう加害者本人はその場にいないのに、自分はそこを動けないまま、100回同じいじめを受けてどうにか耐えている計算になる。
その苦行がどれほどのものかわかるのだろうか
そういう人間がどれだけいると思っているんだ。
適切ないじめ加害者へのガイドラインがあり、適切に守られたと感じられていたらこの殺人も起きなかったかもしれない
であればこの人やこのような人にひとまず必要なのは、生活立て直しはもちろんのこと、何より特定の想起させるシチュエーションを極力なくし、徐々にいじめ体験以外のものを入れていくその試みではなかっただろうか。
子どもは親の体面は守れない。
それはそうとどうにか踏みとどまってほしかった。
表面上は取り繕えても 心の深いところがまるで癒されていないことに思いを致してほしかった。
いじめ体験者の苦しみなら誰かと共有できたのに。
4人殺めた苦しみ、それが及ぼす様々な影響を誰と共有できるというんだ。
起きてはいけないことだけど、ほんとはこんな事件があちらこちらで起きてもおかしくないぐらいのことが、いじめ被害者の内面で起きている。そして彼らは殺めたからといって癒されはしないだろう。そして内面にできてしまった嵐は当人たちの幸せを、妨げ続ける。