学術研究のほぼほぼ最初の頃に、
「対象について定義せよ」ってあるよね、
それが諸々の問題を生み出してしまっている気がする。
マナーやルールとしてそこを通過せよという分野の要請はわかるけれど…
曖昧なもの、曖昧なものだからこそ政治的なもの。
曖昧なものを排除した定義ではなく
曖昧なものだという定義は定義をすり抜けて、
定義という行為の問題そのものを突く。
定義は力であり権力。
定義を迫られるのはいつもいわゆるマイノリティ側が多い気が。
「定義せよ」という側はいつも透明で普遍
定義というプロセスから自由な存在。
自らは曖昧なのに定義せよという権力を行使できることで、自らの曖昧性を不問にしつつ、
相手を定義できるものと定義できないもの、
曖昧ではないものと曖昧なものとに振り分け、曖昧なものを捨象する。