自分も心情的にはリベラルだし特に批判とかではないんだけど、リベラルとか反差別であろうとする人が英語の言説とか海外の言説や活動援用を頻繁にするの、めちゃくちゃ複雑な気持ち。G7意識したりとかニューヨークタイムズやBBCの報道でワーワー言ったり。AOCに憧れたりリナサワヤマに代弁もらうのも大切だけどさ。なんだろ。カタカナ語多いよね。日本のなかでもいるはずなのに。反差別に限ったことじゃないか。日本に住んでるのにめちゃくちゃ海外エンタメに詳しくて海外セレブの発言追ってて、色んな社会運動のジャーゴン紹介したり使いこなしてる人たち見てると、一見もっともな言ってるけど、それの理論が必要とされて生まれてきた土壌が置き去りにされてるような気がたまにして複雑なんだよな。アメリカ社会で生まれた議論をそのまま日本に当てはめてもピンと来ないことは多いしそれはそれで仕方ないと思うし、なんてゆうかそれはそれでいいって言うか、みんながめちゃくちゃ米国社会のニュアンスに詳しくなることで日本が変わるのかなぁ?変わるのかもしれないけど結局ずーっと「属国感」あるなって思いがヒシヒシとする。