トランス差別するフェミニストは「身体」にこだわり「セックスとジェンダーは別!」と強く訴えるけど、むしろ彼女たちのこだわり方を見ているとセックスはやっぱりジェンダーなんだなと思うのよね。セックスはジェンダーだということは、ある身体をどう解釈するかってことは常に既存の価値観の中で、あらかじめ社会に存在する理解の枠組みの中で行うしかないということ。そしてトランス差別をするひとたちを見ていると、正直もう「身体」の問題じゃないじゃんってなる。どんな枠組みでそれを理解するのか、ということが確かに先立っているでしょうと。だって彼女たちは「ペニスのある身体」を恐れているのだと言う一方で「トランス女性」一般を攻撃する。つまり実際の身体がどうとかではなくて、単に「トランス女性」という属性一般を攻撃している。あるいは「オペ済みであればいい」だの差別的なことを言う一方で「性別は変えられない」という言説も同じくらい流通している。ならもう身体の問題じゃない。他人の身体、それも性器の状況なんて普通に過ごしてたら服着てるんだからわからない。何度も何度も言われてるように「トランス女性を排除する」ことは性被害の防止には役立たない。それなのにそこにこだわり続けるなら、もう性被害の防止の問題でもない。