水俣病の発生から公害病認定までの流れ
1953年 猫がよだれをたらし激しく痙攣、狂い踊りながら海に飛び込む。鳥が空から落ちる。5歳の女の子が発症。
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/47/1707.html#:~:text=%E6%98%AD%E5%92%8C31%E5%B9%B4%EF%BC%881956%E5%B9%B4,%E6%97%A5%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
1956年 水俣病多発。チッソ付属病院長から水俣保険所に届出があり水俣病の発生が公式に記録。この年の秋に水俣病が重金属中毒であることが明らかに。
1959年 熊本大学医学部研究班によって水俣病の原因物質が「魚介類中に含まれた有機水銀」であると特定。チッソの工場排水が疑われるも厚生省食品衛生調査水俣食中毒部会は「原因物質は有機水銀であるが、工場排水との因果関係は不明」とする。
1968年 チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀を含む排水が水俣病の原因であると認め、水俣病を公害病認定。チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造設備廃止。