BT>「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」
そうだと思う。江戸時代における「官僚」は世襲の武士が担っていたが、封建制終了でそのコースはなくなった。
で近代国家をめざす新政府として、官僚をどこで養成する?ってことになって帝国大学が作られたわけですよね。
明治維新1868
東京帝大1879
最初は法学部(官僚養成)、医学部、理学部(富国するには海外からの最新技術が必要)
この三つで始まったのではなかったでしたっけ。
外国では、ボローニャにしろオックスフォードにしろ、国家とは関係ないところで始まっている。アメリカのハーバードだってそう。日本の「大學」は政府が国策としてつくったものであり、そのなりたちが昨今の大学制度改革に尾を引いてるのではないかと思う。
日本のアカデミアの弱さがあるとしたら、根っこはここなのでは。