1995年の今日は修士論文の追い込みで、昼夜もなく他の二人の院生と三交代で実験機器を使い回していて、わたしの番が終わって真っ暗な資料室のソファで寝はじめた時に地響と共に雷鳴のような閃光が外に光った後に地震が来た。落下し散乱した本の中から起き上がり停電した暗い廊下を仲間の無事を確かめに走ると、関西出身の仲間は廊下でフリーズしていて、第一声が「空襲か?」であった。あとできいたが本気でそう思ったらしい。
もう一人はラボベンチの下に隠れて余震を怖がりしばらく出てこなかった。外を眺めると化学の方で黒煙が上がっており、仲間と消化器を持って走っていった。アスファルトに地割れがあった。下宿のボロアパートは絶対に潰れていると思い、そのまま二日ほど大学に寝泊まりしていたが、帰ってみたらその風呂なし共同便所のボロアパートは無傷で、四畳半だらけで柱と壁が多いので頑丈なんだな、と思った。