〜テッサ・モーリス=鈴木(著)、大川正彦(訳)『辺境から眺める アイヌが経験する近代』(みすず書房)〜
ナショナルな歴史が形成されていくその渦中で、アイヌは、マージナルな存在として分節され、〈排除/包摂〉されていくことになる。
が、しかし、そうした視点を相対化するなら、そこには、日本史やロシア史の"付属"としてではない、まったく別の歴史や文化圏のありようが見えてくる。
例えば、〈農耕=文明/狩猟採集=未開〉という大文字の世界史が前提とするコードの恣意性。
著者であるテッサ・モーリス=鈴木が自らをどのような思想的立ち位置にアイデンティファイしているのかは知らないが、私は本書を、ポストモダン思想そしてポストコロニアル批評の大きな成果の一つだと思う。さらに言うなら、初版の2000年から20年以上経った現在、本書の提言は、より重要性を増している、とすら。
ポストモダン思想もポストコロニアル批評も、その訴えるところは、決して、"一過性の流行"として消費していいものではない。本書はそのことを、思い出させてくれる。