5月12日の #入管法の改悪に反対する大集会/中沢けいさん 皆様こんばんは 私はもっと早い時間に出てきてと思ってて、話をして帰らなきゃいけないんじゃないのかと思ってたんですが、本日はちょっとこの前に予定がございまして、こんな遅い時間にひょっこり出てまいりました。ちょっとお付き合いください。 私はいま、朝鮮人や中国人の労働者が働いていた場所を、時間を見つけては歩いています。 まずそんなにたくさんの場所に行けたわけではありません。 北海道の朱鞠内、ここは王子製紙がダムを建設した場所です。 ダムは今でも稼働して発電しています。 群馬県高崎の、群馬の森に設置された、朝鮮人労働者慰霊碑。 群馬の森は、明治時代から火薬を作る工場だったそうです。で、昭和30年代、1960年代まで稼働してたと聞いてます。 あの炭鉱で使うんですね。爆破を、発破したり、だから火薬を作って、で、この辺りには中島飛行機の工場があって、まあ日本の特攻機を生産していた。私たち、その、右翼って言ったらいいんでしょうかね、国粋主義者の人は、特攻隊の人たちを非常に大事に思ってる話をなさいますが、乗ってた飛行機は誰が作ってたか考えたことあるのかなとたまに思います。 それから京都のウトロ、ここは今飛行機の話いたしましたが、京都の飛行場を作るために朝鮮人の労務者の人たちが集まってきて、戦後もずっとそこに住みついていた場所です。 去年、一昨年ですか、放火されました。ヘイトクライムですね。韓国人が憎いと考えた日本人の男性がここに放火しました。そうしたことも乗り越えて、いまそこに、ウトロ平和記念館という共同の記念館が建っています。 この話をいたしましたのは、今年で関東大震災から100年になるんです。 たくさんの朝鮮人や中国人、それから日本人も殺されたという大惨事があったのが、関東大震災です。 なぜそこに朝鮮人や中国人、日本人もいましたけど行ったのか。みんなこの日本を近代化させるために働く労務者の人が多かったんです。
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