「海外移住と文化の交流センター」というところに行ってきた。
https://www.kobe-center.jp/about.html
日本から主に南米、とくにブラジルへ移民した人たちは、ここで1週間ブラジルの言語や文化を学び、船で50日かけてシンガポールやアフリカのケープタウンを経由してブラジルへ行った。
日本に来る/いる 海外ルーツについての議論は、日本からも海外に移住してきた/する という視点に欠けているなと感じていたため、ここで明治の頃からの日系移民の話をお聴きできたのは願ったり叶ったり。
明治の富国強兵で世界的に堕胎禁止令が出ていたが、そうすると人口が3000万人→6000万人と倍増。新潟・福島を中心に戊辰戦争の傷あとと、また西日本中心に口減らしのために、南米へ移民を受け入れるよう契約を取りつけていたというのが大半の日系移民だった。
キツすぎるワクチン、過酷な道のりとその先。逃げ出す人々も出た。盛大なキャンペーンで行った人でも、成功したのは一握り。
だがその一握りの成功エピソードの数々も伺うことができた。それらは機転が効いており必死であり、海外に出るときの人間の心境もそこから窺い知れると私は思う。経由中の国でタネを盗みアンパンのアンだけ食べてそこに入れて運んだなど、もちろん犯罪ではあるのだが、そりゃそうだよな、と思える背景だ。ぜひにも何かを実らせないと、既知の地獄か、未知の地獄の2択なのだから。
海外に出る際の心境や出た後の失敗、困難の数々が思い出され、話の一つひとつが身につまされる。
ふるさとへの愛着は離れるほど強くなるなというのも人情としてやはり共通なのだと。
アマゾンを切り拓き、勤勉に働いた日系南米人たちの話。直接聴けたらどんなに嬉しいかと思う。
非常にショッキングだった話がある。勝ち組・負け組ということばのおそらくはもともとの意味の話だ。
勝ち組は敗戦が信じられない人、負け組は日本の敗戦を認識し、真実を伝える努力を重ねた人。
結局は詔書や家族からの手紙による働きかけで知っていくのであるが、当時情報も不十分な上に遠く離れた故郷への愛着もひとしおだったのだろうか、勝ち組の負け組に対する嫌がらせ(自決しろ、と書かれた手紙までこの施設にはある)はすさまじかったのだ。
このような施設はほとんどが取り壊され、現存する貴重な、だがこれも立派といえども、いつなくなるかわからない施設だ。
またこの施設はもともと明治の神戸の財界人たちが、当時の移民は国策にもかかわらず民間の移住宿に任せきりしているあり様を見かねて私財を投げ打って建てられたものであり、建築自体にもどことなく明治建築のレトロさ、洒脱が感じられる。
少しでもご縁・ご興味があったら、ぜひ行って音声ガイドを聴きながら回ったり、研修に使ったりしていただきたい。
ご自身も日系移民のアントニオ猪木さんのお名前が寄付者一覧にあった。
「口減らし」呼ばわりされて出ているのに、自分を見てくれ、立派に働いて一切手抜きしない、と生きる猪木さんは非常に立派な方だった、と施設の方が話してくださったのがとりわけ印象的である。
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