私はクドカンって変わったことじゃなく変わらなかったことが問題だと思っている。
大人計画は主流の価値観や権力に対する皮肉、イジリ、一種の反骨精神で成立しており、そこには元から攻撃性や露悪性、ミソジニーなど有害な成分も含まれていた。「クドカンにポリコレ求めるなよw」「元々そういう人だろw」といったファンの反応が散見されるのもそのため。
一時期までの彼の作品は、有害な部分があるけど(有害な部分もあるからこそ)救済に繋がるようなものだったと思う。その有害性と救済性は表裏一体に思えたし、彼の救済性を好んでいたファンはその危うさも折り込み済みで支持していたと思う。
ところが、時を経て自分がすっかり中年になり権力ある大物になって、自分もまた反骨精神の批判対象になっていく。クドカンに限らず、それを自覚できないまま元からあった有害な部分だけが残りカスみたいに残って、無知無神経な差別をばらまいてしまう場合が本当に多い。
だからこそクドカンが『いだてん』などでミソジニーを克服したかのような表現を見せてくれたことに胸を熱くする人も少なくなかった。ついに有害性を脱ぎ捨ててくれるのかと期待した。
でも結局、負けてしまったんだね。有害なだけの残りカスになってしまったと私は思う。